「満足しているサイは、自分が絶滅を待つ数少ない生き残りだからといって、その満足感に水を差されるわけではない。そして、牛という種の数の上での成功は、個々の牛が味わう苦しみにとっては、何の慰めにもならない」

ヒツジ飼いでなくヒツジたちの視点に立てば、家畜化された動物の大多数にとって、農業革命は恐ろしい大参事だったという印象は免れない。彼らの進化上の「成功」は無意味だ。絶滅の瀬戸際にある珍しい野生のサイのほうが、肉汁たっぷりのステーキを人間が得るために小さな箱に押し込められ、太らされて短い生涯を終える牛よりも、おそらく満足しているだろう。満足しているサイは、自分が絶滅を待つ数少ない生き残りだからといって、その満足感に水を差されるわけではない。そして、牛という種の数の上での成功は、個々の牛が味わう苦しみにとっては、何の慰めにもならない。

進化上の成功と個々の苦しみというこの乖離は、私たちが農業革命から引き出しうる教訓のうちで最も重要かもしれない。小麦やトウモロコシといった植物の物語(ナラティブ)を検討する際には、純粋な進化の視点に立つことは理に適っているかもしれない。だが、それぞれが感覚や感情の複雑な世界を持つ牛やヒツジ、サピエンスといった動物の場合には、進化上の成功が個体の経験にどのように結びつくかを考えなくてはならない。サピエンスの集合的な力の劇的な増加と、表向きの成功が、個体の多大な苦しみと密接につながっていたことを、私たちは今後の章で繰り返し目にすることになるだろう。

 

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