「作品を観たり作ったりしてチャージされたと感じているとき、俺達は自分の中を流れるエネルギーに触れている」

投稿者: kibakoichi

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10代20代の頃、未来のように感じていたのはあの時そのものだったことが、50代になった今よくわかる。経験を整理して記憶化するため、過去や未来という時間の感覚を、俺達の脳は作り出してる。人間の内側外側問わずで存在している時間は「今」だけ。流れていくのは肉体の方だ。

ということを、ある作品のEDを見て、涙が出るほど強烈に感じた。流れ去っていく肉体の世界で肉体の外にある「今」を再現し、「世界が流れているのではなく人間が流れ去っていく。俺達はエネルギーの流れなのだ」と、自分や他人に確かめることが作品作りの動機であり目的なんだ。

作品は流れの中に固定された「裂け目」だ。「裂け目」を入れたり「裂け目」の向こう側を眺めたりすることで、俺達は肉体という流れの外側にある「今」の存在を確かめている。

流れのない「今」は鏡になる。鏡には流れている自分が映る。エネルギーとして流れ去る自分を鏡に映して観ることにより、俺達は自分が生きていることを驚きを持って認識する。作品を観たり作ったりしてチャージされたと感じているとき、俺達は自分の中を流れるエネルギーに触れているんだ。

(あるいは川の流れに手を入れてる感じ。作品は作者が流れの中に作って残した「手の鋳型」だ。鑑賞者はその鋳型の中に自分の手を入れることで、作者が感じた命の流れを自分の感度で再現する。)

作品からエネルギーをもらっていると思っていたけど、そうではなかった。自分のエネルギーの流れに触れて、自分のエネルギーを汲み上げていたんだ。良い作品に触れるとそのようになるのは、作者が自分に「裂け目」を作ってエネルギーの流れに手を入れているから。

作品作りって「自分にどんな裂け目を入れるか」「裂いた断面をどう磨くか」だ。作者も鑑賞者も内側には同じエネルギーが流れてる。作者は幼少期に親や環境から裂かれた経験の副産物として、自分の中を流れるエネルギーに触れた経験を持っている。知っているから自分を裂ける。その一点が鑑賞者と違う。

作品に触れることで鑑賞者は、作者が自分を裂いた裂き方をなぞって自分のエネルギーに触れる。良い作品=鮮やかな裂け目=鏡に出逢うと、その瞬間に俺達はもう自分自身に触れている。それを遅れて理解した理性が震えることで感動するのだ。

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