テレビや映画で暴力を表現し、その作品を鑑賞するのはつねに「いけない」ことなのか?すべての暴力表現がペインボディへのサービスなのか?

投稿者: kibakoichi

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どうして暴力的な映画がこれほど観客を集めるのか?暴力映画は一つの産業を形成していて、その大半は人間の不幸依存症を煽っている。人々がそういう映画を見るのは、嫌な気分になりたいからだろう。人間はなぜ嫌な気分になるのが好きで、それが良いと思うのか?
もちろんペインボディのせいだ。娯楽産業の大部分はペインボディにサービスしている。つまり出来事への反応、ネガティブな思考、個人的なドラマに加えて、映画やテレビを通した追体験によっても、ペインボディは糧を補充している。そういう映画の脚本を書くのも、映画を製作するのも、お金を払ってその映画を見るのもペインボディである。

映画が暴力を大きな全体像のなかで表現するなら、その原因と結果を明らかにし、そのために加害者も被害者もどのような目にあうかを示し、その奥にあって世代から世代へと受け継がれていく集団的無意識を(人間のなかでペインボディとして息づいている怒りと憎悪を)暴露してみせるなら、その映画は人類の目覚めに重要な役割を果たす可能性がある。人類が自分の狂気を映して見る鏡になるだろう。(それが自分自身のものであっても)狂気を狂気と認識するのは正気だし、目覚めだし、狂気の終わりだからである。

そのような映画は存在するし、ペインボディの火に油を注ぐこともない。ペインボディが糧とするのは暴力を普通のこととして、それどころか好ましい人間行動として描いたり、観客のネガティブな感情を刺激するだけの目的で暴力を美化し、痛み依存症のペインボディのための「装置」となる映画なのである。

http://dongavatyo.web.fc2.com/index.htm

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