われわれの本質は馬である

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外面と内面の配慮・・・
人間は異質な二つの部分を持っている。本質と人格である。
本質は、私である。本質は遺伝、類型、性格、天性である。
人格は偶然に得るもの・・・育ち、教育、視点であり、外側のものである。

御者の例を思い出してほしい。われわれの本質はである。が(機械的に呼び起こすだけの)考慮をすべきではない。しかし、たとえあなたがそのことに気づいても、はあなたの言葉を理解しないから、は気づかない。に命令したり、教えたり、考慮しないようにとか、反応しないようにとか、応じないようにと伝えることはできない。
あなたの知性(マインド)は考慮しないことを望むが、まず初めに、の言葉と心理を学び、に話しかけることを学ぶ必要がある。そうすれば、知性、論理の望むようにできるであろう。しかし、今、に教えようとしても、百年たっても何も教えることも、変えることもできない。空虚な願望である。・・・
ぐいと手綱を引けばはあちこちに動くであろうが、それもいつもではなく、満腹のときだけである。に何かを話し始めれば、は尾で蠅を追い払い続けるであろうが、あなたは、が理解したのだと空想するであろう。

われわれの天性が損なわれる前は、御者主人の四者が一つのチームとして一体だった。
すべての部分が共通の理解を持ち、みな一緒に同時に動き、休み、食事をした。ところが言葉が忘れられ、部分が別々になり、他の部分と離れて暮らすようになった。

グルジェフ-3 馬車