世界の抽象化は馬上で行われたのかも知れない。

投稿者: kibakoichi

馬

現代の金融資本家を作ったのは馬の存在だと思う。

馬に跨がり何百世代を生きてきた遊牧の人々は、地を歩く人間よりも目線の位置がはるかに高い。世界の見え方がまるで違う。動物と人間が同じレイヤー上の生き物に見えるため、同じテクニックで管理しようという発想を容易く抱ける。また馬を乗り降りすることで世界のステージを移動できる。

世界の抽象化はもしかすると馬上で行われたのかも知れない。

「アラビアには馬はいない、ラクダが馬を見ると怒りだしたり、暴れたりするから、遊牧民は馬を使わない(ヘロドトス)」砂漠の遊牧民は最初にロバ → 次に駱駝 → 馬を使う。アジアの高原地帯には馬はいたけど駱駝はいなかった。目線の位置は砂漠の民が一番高い。そして目線の位置が高いほど、その住環境は、貧しく苛烈だ。

「(デカルトの『我思う、故に我あり』という個人主義的人間観に対して)この立場は、世間から離脱し、すべてをただ観照する、という態度を取ることにほか ならぬ。それは人工的・抽象的に作り出される立場である。人間関係から己れを切り放すことによって自我を独立させる立場である」和辻哲郎

抽象的になればなるほど人として自閉することができ、現実世界において躊躇なく力を振るうことできる。 ゲームの世界に身を投じれば投じるほど、リアルを制圧することができる、というパラドックス。

古代の戦争において、馬が新しいテクノロジーの発達と切り離せないものであったなら、蒸気機関、ガソリンエンジン、原子炉と「新しい馬」に乗り替えていく歴史の中で、遊牧の民の末裔=金融資本家の世界を見渡す視点の位置は、どんどん高くなっていったのだろう。「馬」の手綱は貨幣システムだ。今は抽象化が進んで数字になってる。

馬上の者ならずば人ではなし、か。

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