脳は存在の「写し絵」であり、それが主体ではない。

投稿者: kibakoichi

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グルジエフの表をあらためて見てほしいが、存在は自灯明、法灯明という交互の組み合わせでつらなっているので、どの位置にいても、そこから上あるいは下にシフトするには、自分の姿勢を解放あるいは否定し、異なる姿勢の中に投げ出すことで実践される。人間のかかわりということのなかにも、法灯明の人は自灯明へ、自灯明の人は法灯明へと自分を投げ出すことで、階段をシフトする効果を得ることもできる。この場合、監視するわたしというのがいると、今までの自分の存在状態からは決してシフトはしないので、自意識が消えてしまう瞬間というものが必要で、その空白に瞬時に切り替わることになる。つねに真上か、真下のものが、自分と正反対の性質を持ち、そこに自分を明け渡すところに、変成が存在するのである。

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わたしたちの感情とか母性本能は脳の第二層、大脳辺縁系としての旧哺乳類脳に関係しているので、グルジエフの図の人間、哺乳動物、無脊椎動物の配列がそのまま、このマクリーンの三層の脳に対応することになるが、似ているが、同じものではないのは言うまでもない。脳は存在の「写し絵」であり、それが主体ではない。
爬虫類脳を抑制すると、ヒトはもっと進化するというよりも、土台の弱体化した建物を建てることに等しく、この絞り口を通じて、わたしたちの内面宇宙が閉鎖的に展開されているのではないか。わたしたちがR領域を排除すると、わたしたちは脳の球体宇宙に閉じ込められ、進化の袋小路に入る。神殿の入口に、気持ち悪くて怖い蟲の回廊があり、それを乗り越えなくてはならないのは映画でいつでも出てくる場面である。あくまで牡牛座という土のサインでは、天に向かうことはなく、進化はいつでも地下へと向かう。愛と平和、調和的な心というのは、脳でいえば、真ん中の旧哺乳動物脳に関係しやすいかもしれない。三層の場合には、一層目と三層目は似ている。そして二層目はそれらとは違う。前者は自灯明的だし、後者は法灯明だ。わたしたちが爬虫類脳に向かうには、哺乳動物脳が抵抗する。ザリガニが来ると、犬が吼えるのだ。

                 ☆

人間の裏腹さの問題として、爬虫類脳に接触するチャンスが少ない人は、爬虫類脳の本能に支配されやすい。毎日のように触れている人はある程度それをコントロールすることができる。レーサーは公道では安全運転するのと同じだ。トラは殺し合いをしないが、鳩は戦うと最後は相手を殺すところまで行くという言葉もそれを言いたいのだろう。爬虫類脳を排除して、ヒトの進化をもくろむ人は、ある日爬虫類世界に滅ぼされる。

 

牡牛座について〜度数の意味とサビアンシンボル」松村潔著・より抜粋。

 ポール・マクリーンの脳の三層構造仮説

 

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