彼を、助けなきゃ。

投稿者: kibakoichi

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「・・た・・すけ・・・て」

ノイズ混じりのかすれた声が、耳元で蘇る。
森田刑事は部屋に入らず、外で待っているように言った。
美鶴君が心配でたまらない。走っていってあのドアを開けたい!
でも、もし一人で飛び込んで、それで彼を助けられなかったら?
あの部屋に人が何人いるのか、あたしは知らないし、分からない。
落ち着け。落ち着け。焦っちゃダメだ。警察が来るのを待たないと。
美鶴君にとっても、あたしにとっても、きっとそれが一番安全。
キュッ、と足を鳴らして、あたしは405号室に背を向ける。
それからエレベーターの前に立ち、『▽』のボタンに手を伸ばす。

   今、行かないといけない。

声が聞こえる。あたしはそれをはっきりと聞く。
背筋を悪寒が走り抜け、腕と首筋に鳥肌が立つ。
あたりを見回す。誰もいない。

   刑事が踏み込めば美鶴和也はそこで死ぬ。
   あの女に殺される。
   今行かなければもう二度とあの男には会えなくなる。

まただ。聞こえた。はっきりと。
間違いない。声はあたしの中からしている。
これは、あたしが、あたし自身に語りかけてる声なんだ。
あたしの直感が囁く声。ギリギリの瞬間に届けられる、本能からのメッセージ。
理由はない。ないけれど。
今行かなければ、美鶴君とは会えなくなる。それがわかる。
エレベーターのボタンに伸ばした手を、あたしはそっと引っ込める。それから、振り返ってもう一度405号室のドアを見つめる。
作業用カッターを、スカートのポケットから抜き出して握る。それはひんやりと冷たくて重い。
美鶴君は109の屋上で、あたしの命を救ってくれた。彼の声を聞いただけで、死のうって気持ちが消し飛んだ。
クシャクシャに縮みきってた心が、パンって元に戻った気がした。

彼を、助けなきゃ。

ガチガチガチ、とカッターの刃を押し出しながら、廊下の突き当たりに向かって、あたしは歩く。
雨水を吸い込んで湿った靴が、足音を廊下に響かせる。
にじゅ。にじゅ。にじゅり。にじゅ。
405号室。あたしはドアの前に立つ。
カッターを後ろ手に隠して、ドアの横のチャイムを押す。
キン・コーン。微かに室内でチャイムの鳴る音が聞こえる。
反応はない。もう一度。
キン・コーン。
心臓が暴れる。あたしは待つ。ドアの向こうに気配はない。
ドアノブを握る。回してみる。回る。鍵がかかっていない。
アタシはそっとドアを開ける。目を近づけ隙間から覗く。ふ、と何かの影が動く。あたしはドアを思い切り開く。

そこには、女の子が一人、立っている。

 

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